烏龍茶・茶師 山道帰一 第三話

 

山道帰一-1975年生まれ。東京・広尾にある台湾烏龍茶専門店「清品茶房 茶通」店主。マメヒコの中国茶は、すべて山道氏がセレクトしている。
台湾・韓国・中国などアジア各地をはじめ、世界各国で宗教や哲学、風水を学び風水師としての著書も多数。台湾で出会ったお茶に惹かれ、台湾政府の認定の茶師の資格を持つ。茶葉の買い付けは全て自ら台湾各地の茶園に出向き調達している。

山道「それでは、少しよれよれになった茶葉を丸く丸くこねていきます。だいたいグレープフルーツ大の大きさに丸くこねてください。中から茶葉の汁を揉み出すようにギュッギュッと」

 

ザルの上で日向に置き、よれた茶葉を丸くこねてゆく。涼しい風が山の梢を揺らしてゆく。けれど額からは汗が止まらない。相当力が要る作業だ。機関車の山道が、無口に茶葉をこねている。およそ1時間30分。茶葉は掌の中でゆっくりと紅茶に変わってゆく。

 

山道帰一は、イギリスの大学を中退後、日本の大学でインド哲学を学んだ。宗教や哲学に関心があった。その中で風水に関心を持てた。もっとその真髄を知りたいと、台湾と韓国に留学。台湾の大学に通っているとき、お茶と運命的な出会いをした。

山道「もともと好きだったんですねお茶は。台湾にいた時、茶畑が近くにありましたから、自分で直接買いに行くほど凝ったんですね。そこでお茶についてずいぶんと勉強しました。友人には『おまえの家でお茶を飲むと、お茶屋さんでお茶を買えない』と苦情を言われるほどでした」

 

茶葉をこねる作業も1時間半。その仕上がりはこねる人によってまちまちだ。茶葉の玉を触ると熱の帯び方が違っている。

 

山道「触ってみてくださいよ。ボクのはほらこんなに温かい」

すっかり茶色く染まった手を見せながら、子供のように嬉しそうだ。お茶というのは作った人がどう生きようとしているのか、どう生きてきたのかがわかる。だから怖いけれど面白い。山道は台湾に買い付けに行くときも、なによりその茶葉を作っているひとたちの人柄を見ている。彼は台湾の製茶師の資格を取得している。名だたる台湾の茶師に混じり、目隠ししてテイスティングし、どの産地で、どんな作り方されたお茶なのかを当てなくてはならない。この資格を持って買い付けている日本人は山道ただひとりだ。台湾時代の友人は、山道のお茶に対する真摯な姿勢に敬服の意をこめて「茶通王」と呼んだ。山道は素直に嬉しかった。だから彼は自分の店を「茶通」と名づけた。

 

山道「まだ発酵が足りないですね」

 

冷たい風が梢を揺らしている。この風が、今回初挑戦するマメヒコ紅茶の発酵を妨げている。

 

山道「これでは、紅茶とは呼べない。さらに発酵を促しましょう」

 

発酵には適切な温度と湿度が必要だ。日はすっかり落ちている。5月の茨城は肌寒いくらいだ。山道は電気ストーブと毛布を用意してきた。茶葉を入れたビニール袋を毛布でくるみ、さらに電気ストーブで温めるという。そもそもお茶とは暑い地域で作られるものなのだ。

 

山道「北茨城は、紅茶を作るには寒すぎるんですね」

お茶とはそもそも、その土地の気候風土に合ったものが自然発生的にできるものなのだと、身をもって実感している。だからお茶は、その産地で呼ばれることが圧倒的に多い。
たとえば台湾烏龍茶でもっとも知られている「凍頂烏龍茶」も台湾の凍頂山の麓、鹿谷地区のものだけをそう呼ぶ。本来はそうなのだ。しかし、

 

山道「お茶の産地偽装は平然と行われている。東京で売っているのはもちろん、台北で売ってるお茶もニセモノばっかりですよ」

 

かつて山道は、都心の有名茶店で凍頂烏龍茶を買い求めた。そのとき、産地に「中国」と印字してあり驚いた。台湾の凍頂烏龍茶の産地が「中国」となっている。買ってきて飲んでみた。1煎目に強烈な甘みがあった。しかし、2煎目以降は何の味もしなかった。経験から、人工甘味料が添加されているとわかった。

厳密に言えば。茶葉は同じ産地であっても、茶樹の年齢、土地質によっても当然味が異なる。そのため、山道は茶葉の村名まで表記することを「茶通」では徹底している。

 

山道帰一の本物への探求心は、私利私欲だけを考える人間に対する強い嫌悪感なのかもしれない。自分だけよければそれでよいという人間を、絶対に許せない。山道帰一の脳裏からは、あるできごとが離れない。あの時、中国で多くのひとを見殺しにしたという思いがぬぐえないのだ。

 

(2009/07/08 カフエ  マメヒコ「ヒトコト」より転載)