烏龍茶・茶師 山道帰一 第二話

 

山道帰一-1975年生まれ。東京・広尾にある台湾烏龍茶専門店「清品茶房 茶通」店主。マメヒコの中国茶は、すべて山道氏がセレクトしている。
台湾・韓国・中国などアジア各地をはじめ、世界各国で宗教や哲学、風水を学び風水師としての著書も多数。台湾で出会ったお茶に惹かれ、台湾政府の認定の茶師の資格を持つ。茶葉の買い付けは全て自ら台湾各地の茶園に出向き調達している。

山道「マメヒコで出している茶葉の品質には絶対の責任を持ちたい」

山道は常々そう思っている。自分が扱っている茶葉で、誰も失望させたくない。今日はマメヒコでイベントの打ち合わせだ。

マメヒコで扱う台湾烏龍茶は、凍頂烏龍茶、文山包種、東方美人、梅山高山茶の4種類。それぞれ台湾の代表的な銘柄であり、個性も大きく異なっている。「マメヒコではもう少しひとつひとつの茶葉に個性を出してほしんだよね。山道君が思うほど台湾茶の差異をお客さんは感じてないと思うよ」

珈琲も紅茶も日本茶も扱っているマメヒコでは、同じ台湾茶のなかで個性をいくら主張しても伝わりにくいという。さらにカフェゆえに扱える茶葉の価格帯にも制約がある。
さらに烏龍茶専門店とは違い、同じ銘柄の等級の違う茶葉を複数扱うことも難しい。

店員がその微妙な差異を的確にお客さんに伝えられないからだ。

さらにお湯の温度、抽出時間によっても味は微妙に変わってくる。カフェで中国茶を扱うこと自体、無理があるのではないかとだれかが言った。果たして中国茶を飲みたいというニーズはあるのだろうかと、別なだれかが重ねてくる。山道は打ち合わせをしながらもどかしかった。

伝えなければいけないことがいっぱいあるのに、全然伝え切れていない。

だから早口にこう言ったんだと思う。

山道「わかりました。では、7月14日から17日まで、マメヒコの店内で自分がお茶を淹れますよ。店内の一角を使ってもいいですか。マメヒコでバイトします。いやバイトさせてください。お茶を通じてお客さんとコミュニケーションを取って、マメヒコのお客さんにも台湾茶のすばらしさをわかってもらいたいです。あっ、バイト代はいりませんよ。もちろんいらないです」

5月。日本の茶摘み前線はいよいよ終わりを迎えようとしていた。山道帰一は北茨城にいた。マメヒコのお茶作りに参加するためだ。

マメヒコでは毎年この時期に、茶摘みをしている。過疎の村で手つかずになっている茶樹から茶葉を取らせてもらい、製茶して「マメヒコ茶」として出しているのだ。

小さな山間の部落にあるお茶の木々は、摘み取り頃の一芯二葉の新芽を一斉に伸ばしていた。目に痛いほど眩しい黄緑の新芽を一つ一つ手で摘み取り、かごに集めていく。茶樹はよく見ると2種類。昔から自生する在来種と、新しい品種・やぶきた種がある。在来種から出る新芽は短く、摘み取っても摘み取っても、一向に量にはならない。けれど、味も香りも在来種の方がいんだ、と地元の人が教えてくれた。

山の天気は変わりやすい。早朝から総出で摘み取ったかごいっぱいの茶葉をブルーシートに並べ、一息つきますかと汗を拭うと、日差しはまたたく間にグレーに鈍くなり、あげく、ぱらつきだした。

山道「まずい!茶葉に雨が当たると香りが飛んで台無しになるから、急いで屋根の下に。早く早く!」

日本茶と呼ばれる緑茶。烏龍茶などの中国茶。赤い水色の紅茶。いずれも同じお茶の木だ。それを摘み取り、発酵させる過程で、味も風味も全く異なるお茶となる。一般的に発酵と言われるが、菌による「発酵」ではなく「酸化」のことだ。日本茶は「酸化」させず、紅茶はしっかりと赤くなるように「酸化」させる。烏龍茶はその中間。

山道は企んでいた。せっかく自分たちで摘み取った茶葉を、そのまま製茶工場に持っていったんでは、「マメヒコ茶」とは呼べないのではないか。茶葉を摘み取り、製茶まで完全に自分たちの手でやることで「マメヒコ茶」といえるのではないか。

山道「今年は日本茶ではなく紅茶を作りましょう。紅茶なら全工程マメヒコのスタッフで作れるはずです」

雲の合間から日が差し始めた。およそ1時間30分。茶葉を掌の中でゆっくりと紅茶に変えてゆく。

(2009/07/07 カフエ  マメヒコ「ヒトコト」より転載)