文山美人茶の逸話  < 山道 帰一 >

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文山包種茶の名産地である坪林郷の鄭家ではここ数年ずっと取り組んできたことがありました。
それはすぐ隣の新竹県の東方美人茶に負けない夏の風物詩となる茶づくりを成功させるためのものでした。

茶葉はあくまで青心烏龍品種を用いて、その製法は紅茶と同じように発酵を促し、
東方美人茶を視野に入れた作り込みでした。

もうここ5年来、坪林郷に行く度に試飲を頼まれ続け、そして心を鬼にしてダメ出ししてきました。
5年間毎回続けてダメ出しのポイントとなったのは、いつも決まって、次の点にありました。

萎凋(いちょう)する時間や環境の要因からくるもの。
揉捻(じゅうねん)の時間と醗酵の程度。

この二つの要因が茶葉づくりの結論となる最終的な影響を決するのです。
そしてこれらの原因で大半はダメ出しとなってきたわけです。

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坪林郷では文山包種茶をつくるという高い技術力はありますが、今回の試みは文山包種茶を作るのが目的ではないです。

山道:「そもそも、どういうコンセプトなんでしょうか?文山で東方美人をつくるわけは?」

もちろん、そこには正当な理由もありました。

鄭氏:「気候は言うまでもなく、ウンカ*の発生などの環境条件は新竹の東方美人と変わらないはず。」
      (*ウンカ:東方美人の茶葉をかじる体長5mmほどの昆虫)

山道:「東方美人には厳密な指標、蜜香、花香の指標があり、それはある程度の量を生産することで
    必然と生まれてくる自然界の産物でもあるわけですが、文山の産地で東方美人茶の製法ただ真似るだけでは・・・
    コンセプトからして違うでしょう。産地から生まれてくる特有の香りと製法の一致に大きな差を感じることを否めない。
    この計画は白紙にすべきでは?」

と、一時期は文山包種茶の発酵が進んで文山香を台無しにしただけの淘汰したい、
つまらない紅茶みたいな茶葉を試飲し続けるうちにこんなことを言ったこともありました。

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思えば、厳しいことをたくさん言いました。
そんな対話と試飲だけが続き、ブレにブレたここ5年であったと言えるでしょう。

兆しは去年からでした。

できるだけ新芽を使って、香りはやはり文山香ではないが、文山でなくては出せない夏の茶葉がある。
春茶を採茶してすぐに生えてきた新芽だけを紡ぎ、
丁寧なオーソドックス製法で時間と手間をかけてつくる坪林郷夏の風物詩「文山美人茶」。
この試行錯誤と試みは、あくまでも鄭家が私に信頼し判断を仰ぎ続けた五年間という時間の歳月を
私はきっと忘れないでしょう。

それはできたのです! 

自然萎凋から室内萎凋への時間シフトと温度管理の仕方を大きく変えていった結果たどり着いた結論でした。
と言うのも、文山が紡ぐ夏のお茶のヒントは東方美人茶の製法ではなく寧ろ、
凍頂烏龍茶の一部茶農家で行っている製茶法に秘訣が隠されており、それを提案したところ、ついにできたのです。

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もし、このお茶のコンセプトを言えと問われれば、逆説的故に成り立つコンセプトと言うことになるでしょう。

つまり!

一、どんな紅茶でもない紅茶。
二、東方美人でない東方美人。
三、パクリじゃないオリジナルのお茶

この喜びの絶叫は今年の6月に産声を上げ、7月には今年の文山の産地で生まれたこの新しい試みを
市場に問う時が来た「文山美人」は、新芽を丁寧に積んだ茶葉と言うこともあり、
わずか20斤(12kg)に満たないくらいしか採れませんでした。

しかし、この茶葉、言わば作品はすべて私の手元にあります。

と言うのも、文山美人茶の製茶と試飲に携わって五年間、一つだけ約束をしました。

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山道:「どうせ、採れても2040斤がマックスですな。それならば、すべて私に卸してほしい。文山美人は、私が取り扱っていきたい。」

というお願いで、言わばこのお茶は私が責任をもって取り扱いたいとお願いしていた鄭家と交わされた茶通のオリジナル商品なんです。

家:「ついにできた。山道からもついに合格をもらった。(うぅ、酷いこともたくさん言われた。)( ノД`)

と、感動に目を潤ませる鄭家を前にふと疑問がわいた!

山道:「ところで、文山に美人っていましたっけ?」

鄭家:「・・・・・・」

ま、幻のお茶なのである。(笑)

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さあ、二か月間、熟成させ安定した味となって世に送り出したい文山からの贈り物「文山美人茶」。

秋の風物として夜長にこのお茶をお楽しみください。

まだ見ぬ文山の美人に思いを馳せながら。(笑)

2016914日 山道 帰一

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