東方美人茶の歴史

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東方美人茶は偶然な誕生以降、ヨーロッパに輸出されましたが、
実際に人気が出始めるのは19世紀末から20世紀に入ってからで、
英国で名付けられた「オリエンタル=ビューティ(Oriental beauty)」の訳語として、
東洋では響きの美しい「東方美人」が定着しました。
(現在、ビクトリア女王が名付けたという説が巷に広がっていますが、
年代的に整合性がとれないようです)

東方美人茶は、大航海時代に、日本に向かう途中のポルトガル人によって、
台湾で発見されました。

ポルトガル人が、美しい島国の台湾を「イラ・フォルモサ(Ilha Formosa)、麗しの島」と
呼んだことが契機となり、1869年 からは、「Formosa Tea」または「 Formosa Oolong 」と
呼ばれる商品名で北アメリカへ輸出されました。
(*Formosa フォルモサとは“台湾”の意)

清代・日本統治時代の頃から台湾の重要な輸出産品でしたが、
近年では台湾国内でも消費量が増え、
台湾・新竹県と隣接する台北県に出荷される頃は、
実に7割以上が産地偽装品の東方美人茶とよく似た製法の、
ヴェトナムや中国大陸で製茶されたお茶に成り代わっているともされます。
(生産量は増えていませんが、出荷量は増えています)

東方美人の厳密な産地は台湾・新竹県であり、
中国では決してありませんので、注意が必要ですね。

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